トイレトレーニングの終盤。

今日は5時に起きました。気温は19℃。晴。もう少しで下の娘のトイレトレーニングが終了しそうです。

まだまだ話せる単語も少なく同時に2〜3くらいに数しか言えませんが、モジモジともよおしてくると「トイレいきま〜す」と大きな声で何回も言うようになりました。急いでトイレに連れて行っても、間に合わないこと(つまりお漏らしすること)の方が多かったのに、今ではほとんど成功するようになってきました。

この娘が最後の子育てになる予定。抱っこの回数も時間も減ってきました。なんだか寂しい気がします。上の息子の時は仕事や子育てに夢中でそんなこと考えている余裕はありませんでした。自分の持ち物を最小限にして、子育てに集中していれば自然と子どもの成長に目がいきます。

ずいぶんと長い間子育てをしてきたような気がしますが、まだまだ僕なんて甘いのでしょう。昔の人はたくさんの兄弟がいました。お年寄りに話を聞けば5人兄弟や6人兄弟だったよと話を聞きます。

もちろん話を聞いたお年寄りの方にも母がいて父がいます。

最初の子どもが生まれてから、最後の子どものいやいや期やトイレトレーニングなど終了するまで10数年間。長期間に及ぶ子育てをしていたんだなぁと考えると尊敬せずには要られません。ましてや全ての子どもが成人するまでなんて考えると人生のほとんどを(特に母親は)子育てに費やしていたんだなぁと自分の時間なんてなかったのだろうと想像します。

次の世代に子孫を残すこと。

僕は子どもたちに何を残せるのか。家?持っていない。高級腕時計?持っていない。

僕は子どもたちに残せる物は何もない。たた残したいものはある。それは物以外のもの。早寝早起きの習慣。粗食の習慣。物を大切にする習慣。時間を大切にする習慣。運動習慣。他人の目線を気にし過ぎないこと。読書習慣など。

今までも子どもたちのためにたくさんの本を買い与えてきました。いっときは電子書籍で買ってスマホやKindle端末で読ませていたのですが、スマホやKindle端末ではどうも集中ができないみたいだったので、本を買い与えました。

物が増えたとしても子どもの成長のために必要な物は購入します。特に本は溜まっていきますが、購入しても気にしません。もちろん読まなくなった本は捨てることになります。もしかしたらミニマリストなのに本を買うことは全然最小限主義ではないではないかと誰かが言うかもしれない。

しかし読書によって習慣が変われば、10年、20年後に僕の子どもたちが使う物が減って、全体的に見てみれば必要な消費だったんだと考えられるはずです。

僕は娘のトイレトレーニングをしながら子どもたちの将来のこと、子どもたちが暮らす環境について考えを巡らせます。

いつかこの娘が親となってトイレトレーニングをしている姿を想像しながら。