僕はじゅうぶん持っている。

今日は5時に起きました。気温は26℃。雨。秋雨前線の影響でしょうが最近雨が多いですね。

新しい物をたくさん所有する事は便利で楽しいことかもしれませんが、見方を変えると物をたくさん所有することでかえって不自由になり不幸になるかもしません。

以前の僕はたくさんの物を所有していました。スポーツごとに専用の靴やウェアがありクローゼットに収まりきらない服はソファの上に散乱していました。

スポーツは何も専用の物でしなくてはならない事はありません。軽量のスニーカーがあれば大抵の運動は楽しむことが出来ます。もちろん専用の道具はそれぞれに優れている点も多いと思います。しかしビジネスが絡んでいることは否定できないでしょう。

例えば僕は体育館など室内でするスポーツ(バトミントン、フットサル、スカッシュなど)は同じ体育館シューズを履いてしていました。※ほとんどしないので体育館シューズも今は持っていませんが。

僕はバトミントンの選手ではないので、普通の体育館シューズでじゅうぶん。どこまで足をのばせば足がすべり、どこまで無理をすれば捻挫をするかは、だいたい身体が覚えています。出来るだけ余裕をもってスポーツを楽しみます。

もちろん服装もいつもの水陸両用の短パンに、登山にも使える汗が臭わないTシャツを着ます。

僕には家の中でほとんど休んでいる物のために購入するお金もスペースもありません。僕は物のために働いているのではありません。

たくさんの物を買うために働くことは終わりのない苦行のように感じます。

何も幸福を感じるために、高価な絨毯や大きな家具をそろえたカタログのような広い家に住む必要はありません。たとえ小さくても高価な家具や家電がなくても幸福を感じることは出来ます。

むしろ少ない物で生活しているほうが心の感度があがり、幸福をたくさん感じられるようになりました。

子どもにとっても同じことです。

毎週のようにおもちゃを買ってもらっている子どもと、年に1回しかおもちゃを買ってもらえない子ども。どちらがおもちゃを買ってもらう喜びが大きいでしょうか。

物を最小限にして生活していると「貧乏だから物が買えないだけでしょう」といったことも言われることもあるようです。最近では誤解も減ってきて、いわれなのないことを言う人はだいぶ少なくなったようですが匿名ではまだまだあるのかな。

もちろん僕は無尽蔵にお金を持っているわけではありません。しかし僕はじゅうぶんのお金を持っています。

じゅうぶんな額とはいくらなのか?それは僕にもわかりません。

各々個人でじゅうぶんな額は変わるでしょう。豪華な食事、大型の車、広いリビングを維持するために必要なお金のために働いている人も多いと思います。それが重要な仕事のモチベーションとなっている人もいるでしょう。

しかし僕は必要最低限の持ち物で生活をして、食事も減らしています。もともと家族性の高尿酸血症を患っているので、豪華な食事が身体の毒になることは若いうちから身をもって知っています。

昨日は80円で買った野菜炒め用の野菜を職場のレンジで温めてレモンドレッシングをかけ、家でにぎったおにぎりを食べました。美味しかった。これでじゅうぶん。

以前はまったく昼食を食べなかった時期もあったのですが、そうすると心配した職場の先輩がたくさんの差し入れを持ってきてくれて、食べない事がまわりに気を遣わせてしまう結果になりました。

最小限主義にこだわればそのまま昼食を食べないで仕事をすることも考えたでしょうが、何事にも執着しすぎないことが自由に生きる術だと学びました。

最小限の物しか持たない生活は幸福に生きるための手段です。幸福とは自由に生きるということ。自分で働き方、生き方を選択すること、選択できることが僕の考える自由な暮らしです。

物を持たないことが目的になってはいけない。