次男×次男の子育て。

今日は2時に起きました。気温は15℃。晴。昼間は27℃まで上がる予定。今日は次男の念願の魚釣りにいく予定。

以前から魚釣りに興味があったそうで、一年越しの魚釣りになりそう。といっても釣り堀の予定ですが。

長男は妻と少年サッカーの試合にいきます。以前なら家族みんなで長男のサッカーの試合に行きました。

3人の子育てをしていると、全員平等に愛情を注がなくてはいけないという暗黙のルールのようなものがありますが、親だって人間。その時々で愛情の度合いは変化していくのは当然です。

2人目の子どもよりも1人目の子どもの時のほうが小さな赤ちゃんの時の写真は多いことがほとんどだと思います。我が家の場合も長男の写真のほうが多かった。小学校入学式の写真の数も長男のほうが圧倒的に多かった。

これは「ある程度仕方がないことだ」と認識することから子育てが始まるのかなぁと感じています。

兄妹である程度の愛情の差は感じているが、とにもかくにも子どもたちみんなのことを愛している。と認識することが大切なんじゃないかと。

やはり長男が初めてサッカーの試合をした時は感動しました。しかし次男の時の感動はそれほどでもなかった。もしかしたらあなたは僕のことを「冷たいやつ」だと、憎悪に似た感情を抱くかもしれませんね。しかし、人間は慣れる生き物。

初めて自分の子どもが小学校に入学したり、初めてサッカーの試合をする時と、2人目の息子が小学校に入学し、初めてサッカーの試合をすることでは、親である僕の感情の度合いは変わってくるのは当然だと感じます。

次男には申し訳ないが、初めての感動はそれほど大きい。しかし、それを認めようとせずに目を背けても次男には伝わってしまいます。なぜそんなことがわかるのかと言われるかもしれませんが、僕自身が3人兄弟の次男だからです。

兄とは3歳違い。弟とは9歳違い。僕は明らかに1人目の兄とも、少し歳の離れた末っ子の弟とも違う隙間の感情を感じていた。親に直接問いただしたこともあった。なぜ兄や弟にはたくさん次男の僕以上に特別扱いするのかと。

親の答えは「そんなことは全くしていない」だった。

はっきり言って子どもにはわかる。自分が隙間の世代なのだと。しかし、親は認めない。みんな平等だと。 僕はそうは思わない。自分が親になってからもそう思う。

僕はまず親として、1人目の子どもの感動を認めて2人目のイベントに挑むことにした。我が家には3人の子どもがいるが、末っ子は最後のイベントという付加価値がつく。きっと写真の点数はまた少し増えそうな気がする。

次男は損なのだ。

今回の釣りはずっと次男が行きたがっていた。長男はサッカーにいくが、僕は次男と釣りにいくことにした。今週末は家族がバラバラになるかもしれないが、次男は今までいつも長男のサッカーの試合に着いて来てくれていた。

たまには長男を置いて出かけてもいいじゃないか。

もちろん長男は長男で「どうして僕を釣りに連れて行ってくれないのか」と感じるかもしれない(実際に言われた)。しかしもし次男が何かの予定があって、長男と僕に自由な時間があれば一緒に魚釣りにいくでしょう。

その時その時の状況で親である僕たちの子どもたちへの愛情や態度は変わる。まずはそれを認めることから子育てははじまる。

ちょっと乱暴な言い方になるかもしれないが、セックスレスになってから夫婦がはじまるようなものかもしれない。