子どもの作った作品の処分について。

今日は5時に起きました。気温は24℃。晴。昨晩は雨が降りました。久しぶりに雨に濡れて帰ってきました。

今日は子どもの作品の処分について書きます。これは処分したいと思っている人に向けて書いています。もし処分することが辛く悲しいことだと判断するなら全て残しておけばいいと思っています。

子どもの作品を全て置いておくことに使命感を持つ必要もありませんし、全て処分しなくてはならないと思わなくても構いません。僕の個人的な意見として聞き流してもらっても構いません。

子ども達の作品の処分はかなり勇気が必要かもしれませんが、しばらくたってくると作品への興味がだんだんとなくなっていくことがわかります。

末の娘が生まれたときに病院から頂いた手形と誕生日と生まれた体重が刻まれたプレートは玄関においてありますが、今は誰も見向きもしなくなりました。

今でも娘が生まれたころを思い出すこともありますが、そのプレートの事は全く考えることがありません。思い出は心に刻まれています。もしそのプレートがなかったとしても全く思い出には影響されないでしょう。

また思い出といっしょにたくさんの物を所有していると、どの思い出が重要なのか漠然としてしまいます。たとえ物を捨ててしまったとしても記憶は残ります。何か形がある物がないと思い出せないような思い出は、なくてもいいのではないかとも思います。

所詮思い出は過去の事。僕は、現在から未来の子ども達の作品が気になります。過去の失敗や成功は変える事の出来ない事実として記憶されます。

未来は変えられる。かっこつけているように聞こえますが本当にそう思っています。子どものサッカーの試合で自分の息子がゴールを決めたらとても嬉しいです。しかし、一度ゴールを決めたからといって、次の試合でゴールを決めなくてもいいという話にはなりません。

向上心を持ちつづけることは年をとればとるほど難しくなりますが、人生を楽しんでいる人は常に前向きに生きているように見えます。

僕の知り合いの90歳の老人は英語の勉強を始めたいと言っていました。横須賀の基地でマッカーサーが降りてきたのを目撃したような年齢の人です。

90歳を迎えてそこまでの向上心を持ち続けることは難しいことかもしれませんが、出来るだけ持ち続けたいと思います。

形ある物はいつかなくなります。盗まれたり壊れたりすることもあります。しかし自分の記憶は盗まれることはありません。

自分が覚えておきたいことはずっと記憶に残っています。長男が小学1年生の夏休みに書いた絵日記はいつまでも僕の頭の中に刻まれています。

はじめて行ったミニマリストキャンプで魚を捕まえて水槽にいれていたら、少し大きな魚が小さな魚を丸のみにしたのを見たことを絵日記に書いていました。ぼろぼろになってしまって捨ててしまいましたが、今でも目に焼き付いています。

思い出の物を捨てても本当に大切な記憶は心に残る。

「次の目標は、次のヒット」

イチロー 元プロ野球選手