少女の名前は忘れてしまいました。

2020年4月3日金曜日

毎日桜並木を通って通勤しています。ソメイヨシノが満開に近くなってきました。桜の名所として有名で、いつも大勢の人でにぎわっているのですが、例年に比べると若干人は少ないかもしれません。もともと人が多い時間帯には近づかないようにしているので、正確にはわかりません。

昨日書いた破れたジャケットはまだ修理に行っていません。これ以上穴が広がらないように着用するのは、やめました。普段使っている鞄に入れておいて、修理に出しに行く時間があけば修理に出す予定。

修理に出しに行くためだけに外出はしません。だいたい仕事の帰りとか子ども送り迎えのついでを狙って用事をすませます。今は手の怪我を負っていて病院に通っているので、それだけでも時間が取られます。

家を購入する気になったのにはいろいろ理由がありますが、子ども達が今通っている学校に楽しく通学していることも理由のひとつです。長男は小学校を卒業したらそのまま近くの中学に入学するでしょうし、その時になれば、末の娘が同じ小学校に入学します。

もし末の娘が学校でトラブルがあって、通うのが困難な状況になれば、私立に通わせてもいいかなぁと考えています。言い換えればここまで考えないとなかなか踏ん切りがつかなかったこともあります。

また数年前に比べると若干年収も上がってきていますし、生活費がかからなくなってきているので、大きな買い物をする気持ち的な余裕が生まれたのも大きいです。

先日娘と「魔女の宅急便」を観ました。金曜ロードショーでやるのをたまたま知って録画しました。以前はキキが住んでいた海の見える屋根裏部屋に住みたいと考えていました。しかし、今は考えが変わって、絵描きの少女が住んでいる人里離れた森の小屋に住みたいと考えるようになりました。

これは結構大きな変化です。森の小屋で犬と一緒にゆっくりと暮らしたいと考えるようになったのです。自然は毎日違う景色を見せてくれます。今でも毎日朝陽を見ながら同じ朝陽になることはないと実感しているところです。極力誰にも会わないように暮らせば見栄も外聞もなにもありません。自分が望めばネットを使っていくらでもコミュニケーションをとることは可能です。

しかしあえて自ら距離を置くことが必要ではないかと考えるようになりました。僕はSNSを海外の友人たちとの連絡手段であるFacebookしかしていませんが、Facebookもほとんど更新しません。調べみると自分の個人的な投稿は1年で数回しかありませんでした。

もう別にFacebookもなくていいかなと思いだしてきました。ただ海外の編集者と連絡をとるために必要なので、アカウントはそのままおいています。またこのブログのFacebookページがあるので、その更新は一応ほぼ毎日行っています。

更新情報やコメントなどの返信もしています。もちろんこれは読者サービスの一環になると思います。いつまで続くかわかりませんが、しばらくは続けるはず。

本当に引きこもりの生活になれば、ネット社会から取り残されるかも知れませんが、それはそれでもかまわないと思っています。僕は僕の時間を生きているのです。桜のように誰もが、満開の花も散り、何年後か何十年後かには花を咲かせることなく枯れることになるでしょう。

パパス
誰もが必ず死ぬ時はきます。常に頭のどこかで死を意識しています。
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