心の闇

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今日は5時に起きました。気温は7℃。晴。曇りかも?天気予報では曇り。まだ日が昇っていないのでわかりません。

『ミニマリスト家族の本(仮名)』は筆が進みません。書くべきことを追加して、いらない箇所を削除して推敲しています。編集者からは契約の段階にきているので、原稿を見せて欲しいと言われました。

日本語で推敲している段階で英語に翻訳して渡すことは躊躇われます。

推敲しながら結論が変わる箇所もあるでしょうし、誤解がないように書いてから渡したいと思います。

完成前に書いている内容を他人に見せることはしたくありません。頭の中のイメージを文字にしてコンピュータの画面に出力し、考えをまとめます。

文字として出力した時点ではまだ結論が全然違う場合もあります。文字にして初めて自分の考え方に気づくこともあります。

途中の原稿を読めば僕の考えを理解したように思うかもしれませんが、時間をかけて書き直して行く過程で全然理解していないことに気づくかもしれません。

時間がたてば人は成長するし視点が変わり、見るモノへの視線が変わります。

子どもにとっても同じことです。

どうして父親はあんなに厳しい接し方をするのだろう?

なぜゲームやテレビをたくさん見させてくれないのか?

成長し背が高くなることで視線が変わり物事の全体像を把握しやすくなります。もちろん比喩的に。

教育の過程は親も子どもも完成前の一冊の本のようなモノかもしれません。書いては書き直し、考えを改めては結論が全く逆になることもあるでしょう。

間違った教育をしていることもあるかもしれません。しかし、それはやっている本人ですら何が正しくて何が間違っているのかわからないことが多いかもしれません。

それを一箇所だけ見つけて重箱の隅をつつくように「間違っている」と一方的にいうことは浅はかではないかと感じるし、それはフェアではないだろうと思います。

視点が変われば物事の見方が変わり考えが変わることも多いはずです。

楽しいことだけをしていては生活できないし、子どもの教育にならないことはわかりきった事実。

誰も好きなことだけして生きているわけではないのだから。