寝坊しました。

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今日は7時に起きました。朝陽が登りきってから起きるのはいつぶりでしょうか。昨日は飲み会があり帰りが遅かったのが原因。

楽しく飲みましたが、昨日のうちに今日の分の元気を先に使ったので疲労が残っています。

たくさんの物を捨てていると、もしかしたらこの先に使うかもしれないし後悔するかもしれないからと捨てられないという物が出てくることもあると思います。

そんな時は無理に捨てる必要はありませんが、僕は捨てて後悔したことはありません。特に思い出の品々を捨てて後悔したことがありません。

学生時代の卒業アルバムも処分していますが、見たいと思ったこともないです。覚えておきたい思い出は頭にしっかりと残っていますし、友人と語り合うこともあります。当時の友人で今でも特に理由もなく約束して会える友人は2人います。

今まで述べ何人クラスメートがいたのかわかりませんが、仕事も何にも関係なしで会う友人は2人です。今後も変わらないでしょう。

思い出の品といえば遺品整理も難しくデリケートな問題です。僕は祖母が亡くなったときに、部屋の電気にぶら下がっていた紐をもらいました。

電気をつけたり消したりするときに紐を引っ張ってスイッチの操作をしていました。

それも電気を交換するときには捨てました。思い出の品を捨てると「冷たい男」だと言われますが、紐がなくても思い出は消えません。むしろ僕の場合は捨てることによって忘れないように記憶に刻もうとしていました。

捨てることで頭の中に思い出が染み込んでいきました。

もし、ずっと僕の部屋で電気の紐としてぶら下がっていたら、ただの電気の紐として存在しているだけで、15年以上前に亡くなった祖母の部屋の電気の紐のことを思い出すことはなかったでしょう。

思い出の品を見れば思い出は蘇る気がしましすが、ずっと見続けていれば壁や石ころのように感じるようになってしまいます。

部屋の壁に飾ってある子どもたちの作品がただの壁になるように。小学校の「廊下を走らない」と書いてある注意書きのように。

後悔しないためにはなぜ捨てるのかを明確にして、自分で捨てることが肝心。

例えば、電気の紐は僕には不要でした。紐をわざわざつけなくても電気の紐が届いていたからです。むしろ紐が部屋の中央にぶら下がっていてわずわらしいとまで考えるようになっていました。

祖母が使っていた洋服に付いていたであろう紐です。ですが、これを捨てても祖母と一緒におかきやサイダーを飲んだ思い出は心に残っています。

捨てたとしても僕が思い出を忘れるはずがないと思い捨てることにしました。

思い出は自分の心の中にあり。